しっかり見るとは

収穫:特になし

 先日のbmsでの好調を再現できずにいる。打鍵の意識としては、胸を張らずに肩の力を抜き、脇をしめた状態を維持したままの構えをとっていたり、指を立てて手を沈み込ませで指の可動域を広げるものを採用している。しかし、どことなく鍵盤の反発を活かし切れていず、負荷を空中に逃がし切れていない感覚がある。

 経験上、スランプを解消する目的でBeatmaniaから距離を置くのは解決にならず、根本的な問題が解決しない限りスランプは解消しない、というのが今の自分の考えだ。今できることは、今日は調子が悪いからと言って鍛錬の中止するのではなく、出口を必死で探すことだ。また、今回解決できなかったとしても、次回は好調時の感覚を再現できるよう質の良い打鍵を意識し続けることだ。

 そして色々と試した結果、「しっかり見る」を実行したことで、やや打鍵が軽やかになった。というより、患部に湿布を貼ることで感覚が麻痺して痛みが和らぐようにして、認識に意識の大半を割くことで打鍵の負担を感じにくくなった。この「しっかり見る」という漠然とした言葉の中に、どれほどの重要な情報が詰まっているのか、現時点では把握仕切れていない。だからといって、蔑ろにすることなく意識し続ける価値はあると思う。

 「しっかり見る」を具体的に言語化すると、「単発を光らせる際の認識を、物量にも適用させること」と言える。どの程度当てはめるかは個々人の認識力によるが、例えばbpm150で13→24→13→24と来た場合、最初の3を単発と同じ認識で処理し、残りのノーツは感覚で拾う。別の言い方では、最初の3を認識力で処理し、残りのノーツは打鍵力で処理する、とも言える。つまり、最初の3はGAMBOLを光らせる認識と同じようにして処理し、残りのノーツは中速物量を処理するときの、ガチ押しとも指押しとも脱力とも言えない打鍵で処理する。認識力が上限に達した場合は、Mare Nectarisを全てGAMBOLの認識と打鍵で処理できる。しかし、人間である以上そこまでの能力は得られないため、自身のできる範囲で行うことを「しっかり見る」という。